なおやんのブログ

大学院生の日記的なやつ。色々ありすぎて整理するときの文字起こし的な用途で使ってます。

弱き物の一撃

久しぶりに文字おこし。決まってあまり良くない感情の時にこの文字起こし欲がわいてしまう。どうもです。なおやんです。

ついこの間まで愛知に一週間インターンへ行っていた。

初めて一人で宿泊までしての遠出。なにもかも新鮮だった。

大阪に帰ってきている今、大学院に通い、研究するという現実と向き合わなければいけない前に自分が感じたことを綴ろうと思う。

 

SNSは毒なのかもしれない。

最近やっと気づいた

 

自分自身、色んなことが根詰まって疲れてしまうと、急に自分の現状を振り返ってしまうことが多々ある。SNSを見て、他人の投稿を見て、うらやましがって、自分が不幸に思えてくる。なにげない友達との旅行の写真や、何かを成し遂げた様子、彼女(彼氏)との○○記念日、高価できらきらした食事など。普通は何気なく見ているだけなのに、「なんかこいつら幸せそうで、なんで自分だけつまんないの」と思ってしまう。

自分がでた中高が私立だったからか、周りの環境が良い人もごくわずかだが、存在する。ブランドものを学生のうちから身にまとい、高価な物を食べ、よいホテルに泊まる。かたや、コロナ禍以降、親の目を気遣ってのびのびと行動していない自分を比べてしまっていた。

これが、学生の間中ずっとSNSも見ずに、家庭内で過ごしていたらこういう気持ちにはならなかっただろう。愛知でのインターン、ずっと一人で行動した。親の監視など考えずに。友達とご飯を食べた。バーにまで連れて行ってもらったし、夜の公園で弾き語りし、youtuberと語った。繁華街にも久しぶりに行った。そのときはとても楽しかった。だからこそ、かえってきたからまた現実に引き戻された感が凄かった。また親という生き物に気を遣い、少量のお金で趣味嗜好など、自分の支出を回す。息苦しいなと思う。コロナ禍で失った物は多い。ギターのモチベーションはめっきり下がった。部活のメンバーはとっくに上手くなり、オリジナルバンドなんか作ってフェスに出る。自分は小さなサークルに出るのがやっと。それも二年近くかかった。そのせいで、自分の好きな音楽性と部活で解離性が生じ、自分がやりたいバンドを立候補しても、渋い顔をされ、あがくのはてには「そのバンドをやりたいと思う人なんて誰もいない」とまで言われてしまう始末。

自分は恵まれていない、才能が無い。人と格別する物がない。全てにおいて負けてしまう。そんなことを思い続けてしまう。これが自分が病むときの負のループ。たぶんこれを抱えていると段々他人にむかついてくるんだなと。アンチはこうやって生れてくるとなんとなくおもった。

 

でもあるとき、このことについて40代の知り合いに相談したとき、意外にも幸せの一過性を説かれ、ものすごく納得した感じがした。幸せの時間にも空白がある。意外にも切り取っただけに過ぎない。知り合いが多いとその切り抜きが沢山まわってきて、みんなが幸せなんだと思ってしまう。その人が影でもしんどい思いをしているかもしれない。

 

SNSは人生のハイライトだという言葉を思い出した。

 

ハイライトを見過ぎるのも良くないとおもった。きらきらした光には必ず暗い闇があるとやっときづいた。その暗闇はみえないようにみんなSNSでなんとかするんだとおもった。

 

このことが分かった同時期か少し前位からBUMP OF CHICKENにおくればせながらハマった。その中で、最近とくによく聞いているのが、ダイヤモンドという曲だ。その曲のラスサビ付近、藤原基央はこう歌っている。

 

何回転んだっていいさ 何回迷ったっていいさ
大事なモンは 幾つも無いさ

後にも先にも ひとつだけ ひとつだけ
その腕でギュッと抱えて離すな
世の中にひとつだけ かけがえのない生きてる自分
弱い部分 強い部分 その実 両方がかけがえのない自分
誰よりも 何よりも それをまず ギュッと強く抱きしめてくれ

 

情報過多な世の中でいきて、しんどくなっても、大事なものを抱えて、弱いところも強いところも全部大事に生きていこうと思った。

多分その大事な物をもっていたら、自分も幸せだと思う瞬間が来るし、生きてて良かったと思うことがある。そのときまでしっかり生きていこうと思った。