なおやんのブログ

大学院生の日記的なやつ。色々ありすぎて整理するときの文字起こし的な用途で使ってます。

ライブレポ RADWIMPS FOREVER IN THE DAZE TOUR

みなさんこんにちは

なおやんです。

お元気にしていましたか。

この度、約二年半ぶりにRADWIMPSのワンマンライブに行ってきました。そのライブレポートをお届けしようと思います。長くなりますが、よければ見ていってください

「FOREVER IN THE DAZE TOUR」

1/18@神戸ワールド記念ホール

 

当日朝、大学の行く途中、ワールド記念ホールに立ち寄れるから、ツアートラックの前で写真が撮りたくてダッシュした。丁度福岡からやってきたかいせいとポートライナー三ノ宮駅で待ち合わせし、市民広場駅へ。ツアートラックもうすでにりんくんとしゃむが待ち構えていた。わちゃわちゃしながら、「さむいー🥶」となりながらも各々ポーズをして、飛んで、何枚も撮った。この感じ。やりたかった。なんだかんだうぃんぱーと名乗りだしてから初ライブ。こんなに楽しいんだと思った。

ただ、現実は卒論を書き上げなければいけない大学生なので、そそくさと大学に戻り、四時くらいにまた会場に戻るとそこはもう別世界。各々タオル、ララバンを付けて、フォトスポットで飛んだり、ファン同士で写真を取り合ったり。そうそうこんな雰囲気だったな。初めて行ったときのライブのことを思い出した。ただ、知らない人たちが何人かが知り合いに変わっていた。そこが新鮮味を感じた。いままでの出会いがそこにある感じがした。

改めて、RADのアルバムツアーは舐めない方がいいなとおもった。アルバムツアーかと疑うセトリをぶちかましてくる。これでもかというくらい暴れ、しんみり聞くときはしんみり。そして感動する。なんせ、二年半ぶりの洋次郎の生の声だ。最初から最後まで幸せで満ちあふれていた夢のような時間だった。ライブ終わった後、同伴のいくみんが、「ここで死にたいわ」って言ってたけど、まさにそれくらい幸せに満ちあふれていた。音楽最高ですな。

 

ここからは曲ごとにレポートする。

 

①TWILIGHT

SE、イントロ、洋次郎のボーカル。全て聞いた瞬間うぉーーはじまったー!ってなった。もう思わず立ってしまった。最初まわりのスタンド席でたってたのが自分だけで超恥ずかしかった。でもソンなことを気にせず、いきなり飛んだ。ライブで聞いてヨリお気に入りになった曲。夜明け、新たなスタートをきれそうだ。
桃源郷

照明がまぶしい!!その分バンドメンバーがかがやいてみえたなー!今からライブという桃源郷に案内しますよ!そんなことをメンバーがいってるきがした。また楽しそうに演奏するんだコレが。洋次郎のテレキャスでくねくねしてギター弾く感じ。ほんとすきなんだよね。次のライブの時もやるのかな。やりそうだけどな。

③ドリーマーズハイ

イントロが聞こえた瞬間、鳥肌がたった。まさかこの曲がこのツアーで聴けるとはおもわなかった。洋次郎はSugiつかったギタボではなく今回はボーカルのみ。ラスサビから新演出の銀紙はなふぶき。感動の嵐。本当にこの曲をきけていいんですか?疑った。夢だと。現実なの幸せすぎるだろ。ラスサビの悲しみ~わればーせかいにー。泣けた。初めてライブで涙を流した。ただここからあと二回も涙を流すことになるとは。この時の私は知るよしもなかった。
④海馬

こんばんはRADWIMPSです。久しぶりに聞けてめいいっぱい拍手した。海馬はなんとなくのりかたが難しい感じがした。新しい曲はあんまり定まってないかなまだ。タブゾンビーズがどこかでくるんかな?この後の公演で。いやわからん。来てたらラッキーですねその人達。ホーン隊の音カッコいい。この曲はそれにつきる。
カタルシス

AAGT以来の生でのカタルシスト。演出はフジロックと同じ。ほう!×4わすれてなくてよかった。AAGTで聞いたときとどこかちがうなーって思ったらやっぱりギターなのかな。TAIKINGさんのストラとのおとでもかなりくわちゃんに近かったからな。すごいよな。
⑥DARMA GRAND PRIX

みっきーとエノくんのドラムバトルから始まるこの曲。かっけーなー。あのフレーズ合わせれるのは本当に凄いと思う。かっこいいのよこれまた。洋次郎のアカペラから赤を基調にしたなんとも少し危険な感じの照明。間奏は武田、TAIKING、ミズキさんのセッション。その後の「は!」のタイミングもしっかり合った。

⑦MAKAFUKA

映像が森の中にいる感じ。途中で取りが飛んでたり、神秘的なイメージはMVから継続してるのは本当にいい。世界観が壮大すぎる。オーケストラが実際にバックにいて演奏してたらとんでもないことになるんやろうな。

⑧うたかた歌

菅田将暉なしのうたかた歌。ポケットに手を突っ込んで歌う洋次郎をみて、リアムギャラガーと重ねてしまう自分がいた。くわちゃんが弾くギターソロはTAIKINGさんのパート。原曲通り行くかとおもったら全く違うフレーズで、少し音をわざと違う感じで哀愁感も若干あるようなフレーズを弾いてた。でも全く雰囲気を壊してなかった。さすがすぎるSuchmosのギタリスト。

MC(武田)

 今日はドラマー二人の紹介に付け加えたのは好きな焼き肉の部位でした。エノくんは上ミノ、ミッキーはタン塩か。いいな。タン塩食べたいな。(何の話やねん)関西に二年ぶりに来れたことが本当にうれしいようで。関西ってやっぱり一体感有って洋次郎いわくリビングのような暖かい雰囲気らしい。MCの時にちょいちょい邪魔されてライブが10分ほど押すのも関西ならではだそう。そーいうのがコロナ禍が過ぎてからまた見れたらなと思った。まだまだいけるかい!でみんながぴょんぴょん飛び跳ねてるのにまけじと自分も飛び跳ねた。

⑨DADA

久しぶりに聞けた。「神戸のDADAっこっぷりみしてみろやぁ!」もう聞いた瞬間興奮、そしてドラムフレーズ。口パクで歌ってとんで暴れ倒した。ここで腕と腰が半分もってかれた気がする。最近は最後にやることがおおかったけど、中盤に暴れるDADAもいいな。最高。よくできましたも聞けた。ギター二人だから、いつもはコンピュータ出だしてる音も生音だったから、音圧えぐかった。
おしゃかしゃま

ライブおきまり曲。楽しみなのはセッションだ。ここでは、ドラムから始まった。今までと逆。ソレもまた新鮮。ミッキーのスネアがよく聞こえた。新しいからか、迫力があった。ちょっと遊び心も入れるエノ君もたまらん。その後、センターステージで楽器隊のセッション。武田が全体をコントロールし、TAIKINGさんがストラトで暴れ散らかし、ミズキさんのカッティングを頑張るスタイル。TAIKINGさんが途中でSmoke on the waterぶち込んできたときは度肝をぬいた。ここでそれする?!って。ミズキさんも特徴的なV字ギター(Flying Vかな?)でカッティングする。武田がキメる。そして最後盛り上がって洋次郎がキメる。いいな。でもちょっぴり思ったのは、、、やっぱくわちゃんのソロがうまいなってなった。聞き慣れているからだろうな。

11.セツナレンサ

イントロを聞き始めた瞬間これも?!ってなった。思わずとなりにいたいくみんに確認をとったくらいだ。演出というか照明の感じはヒューマンブルームでやったときと似ている。ただただあの早口の歌詞がまたたまらんのよ。しかも洋次郎噛んでないのがすごい。ラスサビ前に洋次郎だけにライトがあたるところ。あれ拡大してDVDとかでみたいな。絶対カッコいい。

12.匿名希望

洋次郎が世の中の疑問を呈しつづける中で今回のが万人に一番しっくりくると思う。突然現れる奇妙な顔。のっぺらぼうに様々に描かれる顔。喜怒哀楽、また、そのどれでもない無の表情。不気味な白黒画。今の時代の匿名という武器の怖さを表現していた。檻をイメージした、台の上で洋次郎が歌ってるとき、落ちないかどうか心配していたのは私だけではないはず。

MC(TAIKINGとマスダミズキさん)

ギターサポート二人による挨拶。次に演奏する曲の機材が桑からの借り物です!とアコマスだマスダだんが見せると、自分もエフェクター(スイッチャー?)借りてますとTAIKING。遺品ぽいなといってから桑の事情を洋次郎が説明する。ちゃんとMCで今いないメンバーについてもちゃんと触れるのはやはり思慮深いなとおもった。

13.NEVER EVER ENDER

高揚感のあるシンセサイザー。最近のライブの序盤にやるイメージが多かったこの曲を中盤にもってくることで、もう1段階も二段階も会場を盛り上がることができると思った。あたらしいRADの原点。Aメロのところで武田がぴょんぴょんして手拍子を煽る姿はやはりカッコいい。

14.トアルハルノヒ

「ロックバンドなんてもんをやっていてよかった」コロナでライブが出来る状況ではなくなったり、フェスが中止になっていって、もやもやを抱えていた洋次郎。それでもまってくれるファンに向けて、そしてこのツアーが出来たことに対して叫んでいる気がした。さび前でTAIKINGの横でくねくねしながらギターを弾いてる洋次郎がこの上なく幸せそうだった。この曲が終わった後の「ロックバンドなんてもんをすきでいてくれて本当にありがとうございます。」心の底からのお礼を聞けたような気がした。会場のおきゃくさんもめちゃくちゃ拍手していたのがたまらん。
15.SHIWAKUCHA(feat.Awich)

Awich登場。歌い始めた瞬間から鳥肌。声量えぐいなあの人。そもそものラップ詞が自分は好きで、その上に生歌が良すぎて、かかってこいやI’ll beat it all! のところで本日二回目の涙腺崩壊。圧倒された。びびっときた。洋次郎がAwichを選んだ理由がなんとなく垣間見えた気がした。音源よりも生歌できくとより一層素晴らしく聞こえる。

16.いいんですか?

もうおきまり中のおきまり。コロナ禍のいいんですか?はラスサビ前に録音した合唱の声を流して洋次郎がその後歌うスタイル。ちゃんとみんなの声届いてるよって感じがしていい。TAIKINGさんのギターここでも遊びがはいってた。くわちゃんが弾かないことをしてたのがおおお!ってなった。ちゃんと「愛してるよ!」もいただけた。

MC(洋次郎、正解の話。詳細はねこらっどさんのツイートで)

ライブに行くのに悩んでた自分。いままでコロナの中で常に選択をせまられて、思うように行かない自分。でも自分の中の大切な物は変わらない。音楽も友達もなんでもそう。今回のうぃんぱートの出会いも、ライブに行けたことも、RADの音楽をききつづけること、自分の大事な物を抱えて生きていこうとあらためておもったMCだった。

毎回思うけど洋次郎のMC本当にかっこいいな。
17.鋼の羽根

揺るぎない物が欲しかった。壊れない意思がほしかった。このライブに来る前ことに永遠悩んでた。色んな選択をしてきた。そんなことが一気に答えに導かれるような感じがした。最初は洋次郎のピアノ弾き語り。途中からミズキさんの鍵盤にかわって、洋次郎が花道へ歩き出すところがかっこよ!!!!ってなった。
18.SUMMER DAZE 2021

今回のアルバムの中で一番好きな曲である。RADの音楽としては新しい部分になるのだけれど、どこか懐かしい洋楽の雰囲気というか、RAD聞く以前に洋楽を聞き込んできた僕にとっては心地よい物を感じた。演出の歌詞を画面に投影する形は2017年、マンチェスターで行われたアリアナグランデ主催の慈善コンサート「One Love Manchestar」でコールドプレイのChris MartinがDon't look back in angerを歌った時の映像に通ずる。(Chris Martin and Ariana Grande - Don't Look Back In Anger (One Love Manchester) - YouTube)Don't look back in angerはOasisの曲だが、誰でもが歌える「アンセム」になっている曲でもある。このSUMMER DAZEも夏、みんなが各々歌って踊れるそんな曲に今後なることを願っている。ラスサビ前の照明の紫主体のあの空気。まさに魅惑を表現していた。美しい。

 

アンコール
19.棒人間

まったく想像してなかったアンコール。この曲は15thライブの時に、自分の人間の弱い部分が諸書かれているなって改めて感じた曲だった。また聞けて嬉しいな。本当に弾き語りうまいな洋次郎。学生最大のゴールはこの曲を弾き語りすることにしました。

20.三つ葉のテーマ

生で聞けると思って無かった曲。インスト曲では一番好き。落ち着くなぁ。次の曲じゃあスパークルかなって思うやん。まさかの次の曲なのびっくりした。

21.グランドエスケープ

洋次郎の真後ろから徐々に大きくなる照明が神秘的。でも徐々に盛り上がるときの小さな手拍子、らすさびでのみんなの大きな手拍子が聞けて最高でした。はやく大合唱したいな。多分KNTでもこれはやるでしょう。三浦透子さんと歌ってる奴もききたいけどね。
22.有心論

一番最後に自分の大好きな曲が聴けた。洋次郎がサイケデリズムのあの青いテレキャスに持ち替えて、「いままでぼくがついた嘘と、、、」と歌い出してからもう涙が止まらなかった。途中で「君が命の終わり作ったよ」を二回言ってしまうという珍しいミスをしたのだが、そんなことなんてどうでも良かった。RADにであってから、自分が苦しいとき、病んでしまったときにこの曲に何度も救われた。それを生で、洋次郎の声を聞けた。その事実だけで感無量だった。人目をはばからずにその場に崩れた。手すりにもたれて泣いてた。曲はあっという間におわってしまったけど、終わるまでずっと手を振り続けた。心の中で「洋次郎本当にありがとう!」っていいつづけた。そして曲が終わった後、「次会うときまで幸せでいろよ!」お約束の言葉を残した。絶対守ろうとおもった。その後投げキスをしたのも忘れてない(笑)

 

と、語りましたが。結論。

DVD化まってます。

KNTも絶対行くときめた。

親からはRADをけなされてますが、自分にとっては命の恩人なので。

これからもきき続けようと思います。

それを改めて感じれたライブでした。

 

 

あ、そういえば声の問題について。

自分は声をもちろん出さなかった。出しそうになったら口パクにしたり、飲み込んだらした。

まわりでは一瞬ふぅー!とか感嘆の声は後半に近づくに連れてちらほら聞こえた。継続的な合唱は僕が聞く限りではなかったかなー。

でも最後、演奏が終わった後に何人かが、洋次郎ー!って叫んでたからあれはないなって思ってた。皆さんも気をつけましょう。意外と叫んだら目立つからな。

 

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今思うこと

 みなさんこんにちは。なおやんです

 

緊急事態宣言が発令されましたね。大学もせっかく対面授業が復活してきたのに、またオンラインに戻ってしまいました。残念です。

一番最初の緊急事態宣言から丸一年以上経ちます。色々みなさんも思うことがあるのでしょうが、ここで、自分目線でこの一年間を見つめ直してみようと思って、文字に書き起こしてみようとおもいます。

 

1年前、何も分からないまま緊急事態宣言が二ヶ月近く続きました。

新型コロナウイルス自体がそもそも何者かまだわからない状態が続く中の発令でした。

自分の中ではこれで終わるんだろう、非日常で誰とも会わない期間ができたけど耐えるしかない。

僕の家は、80近くになる祖父母も一緒に住んでいます。もし外出した際にウイルスを持って帰ってきても困るということでそれまで続けていたスーパーのレジのバイトを止め、しばらくは本当に何もない生活が続きました。

五月に入るとオンライン授業が始まりました。画面越しで先生の話を淡々と聞いて、レポートの数をこなして、わからない課題を解いて提出しての毎日。新しい生活様式とはいえ、淡泊な日々が過ぎていきました。

 

バイトも再開したけど出かける度に持ち物の消毒は必須。小学生の時にばい菌扱いされて虐められていたことがあったから、その記憶が少しもどって本当に嫌な気持ちになっりました。自分が人間じゃないと思うことも少なくありませんでした。

 

でも自分には家族がいるし、かかるわけにはいかない。きっとコロナが収束するであろう未来を望んでいた。きっと1年後はマシになっているはずだからと。

 

しかし、現実はそうはいきませんでした。緊急事態宣言の1回目が終わってから、SNSを通じて自分の周りの環境と、他人の環境との違いに少し唖然としました。マスクをしながらではありますが、ライブ、旅行、友達とのご飯。コロナ禍以前の日常の片鱗がそこにはありました。

かたや一度も友人にも会わず、大学の課題におわれ、外出も運動でさだめられた1~2時間のみの僕。たえられず友人に会いに行くと、くまなく聞かれ、これ以上行くな、いったら大学のお金を払わないなど脅され。

 

自粛している自分よりも外に出ている人達が自由に感じて、羨ましく、そしてなんだかばかばかしくなってきました。何が正解なのか、なぜ自分が自由ではないか。考える度に胃がいたみ、夜中もねつけず、時に泣いてしまった日もありました。

 

なるべく考えないようにしていたのに、好きなはずのバンド活動も、周りと自分との圧倒的な環境の違いにやる気をなくし、いつしかバンドをすること、もっと言うと音楽を嫌いになりそうな自分もいました。昨年から本格活動する予定だったバンドをつかったオフ会も、なかなか出来ていないのが現状。学祭、毎月の定期ライブ、部室でのセッション。2年前までのあたりまえが、青春がすべて奪われているのに、まわりで出来ている人をみるとなんだむなしくなってしまうのです。

 

でも言い聞かせました。もう少しだから。ワクチンも届いて、みんなが自由になる日はくるであろうと。

 

しかしながら、残念なことに今の日本はそうではありません。一年経過した今、状況は改善するどころか、錯乱しているように見受けられます。感染者の数は変異株の流入も相まって増え続けているのに、オリンピックをやる。そのための看護師を用意すえる。日本が今ここでオリンピックをすれば全人類の希望になるとバッハ会長は以前から繰り返しおっしゃっています。

 

正直に言おう。バカじゃないのか本当に。以前と同じような暮らしがまともにできず、生きた心地がしない家庭環境に生きている人間も数多くいるはずなのに。一部の人間しか得しないことをするなんてどうかしていると思います。

禁止する物を禁止だけして、困っている人達が沢山いるのに、その具体的な支援策であるお金すらださない日本政府なのに、ウイルスが世界的に蔓延している中、オリンピックという特殊な状況を乗り切れるはずがないと僕は思うのです。

なぜ感染の押さえ込みに成功しているニュージーランドや台湾などを参考にしないのでしょうか。本当に謎です。自力でやれると政治家のプライドもしくは根拠のない自信があるのでしょうか。欧米やインドと比べてまだましだからと思っているのでしょうか。僕にはよくわかりません。

緊急事態宣言も、感染者が何人までさがったら解除しようという方針では、またリバンドを繰り返すだけだと思います。限りなくゼロに近づけてからの解除、それまでに入国制限をする、自粛要請している業界の支援金をなるべくおおく支払うなどの対策をしっかり行動でしめして欲しいことを強くねがいます。

医療機関の負担も忘れてはいけません。ただ検査数をふやす、入院患者が多くなれば病床を増やせば良いだけではありません。看護師、医師もその分沢山必要です。しかし、人手が足りないのが現状。そのひっぱくした状況をなんとか解消するための宣言でもあるはずなのに、何かただしばるだけしばる、助かる人はあんまりいない見たいな状態になってしまわないかと凄く不安です。

 

不自由な期間がのび続け、不安な日々を過ごすのをいつまで耐えれば良いのでしょうか。家庭状況、経済状況によって人それぞれなので、一概になにが正解とは僕は言えません。あくまで僕個人の問題です。ですが、こういう気持ちで過ごしている人々も少なからずいるということも分かって欲しいと思います。

 

しかしながら、いつまでもくよくよしていたところで仕方がないし、環境を変えよう、自分が好きなことを出来る環境にしようと今は準備中です。自分のやりたいことから今やるべきことを逆算したほうがなにかとものごとって取り組みやすい物ですね。

 

会いたい人も、演奏したいことも、やるべき勉強も。自分の中では山積み。1つ1つ消化出来るよう今後も努力していこうと思います。

 

楽しく、明るい、世の中で一人でも多くの人が笑顔ですごせることを願っています。

 

ほなばいちゃ

 

 

2021年4月30日

 

なおやん。

 

 

 

 

ことわる

どうもなおやんです。夜な夜なレポートの暇つぶしで書いてます。

 

みなさん、何か物を断る時ってあると思います。

どういう時に断りますか?

 

(あんまり話の合わない人からのご飯のお誘いが来て、行きたくない。嘘をつこう。)断った。

 

(明日テストなのに他の学校に行ってる友達のテーマパークへの招待された。時間がない。)断った。

 

(予定があるのに仕事を入れられそうになった。キャパオーバーになりそう。)断った。

 

(本当は遊びに行きたいけど家族が病気にかかって家の面倒見るのに忙しいから)断った。

 

いろんな断るパターン、場合、やり方があると思います。

僕がよくある断り方はこれ。

「家族が〜だから」「親が〜だから」ダメっていうから断ることが多いです。

特にこのコロナ騒動が収まりかけてからはかなり増えてしまっています。正直、とても憂鬱です。「周りのみんなが自由に行動しているのになんで縛られなきゃいけないんだ」「なんで自分の人生なのに怒られて無理やりいけなくなるんだ」という中高生じみた不満が溜まってしまうこともしばしば。自分がしたいことを自分が理由ではなく、僕自身が同意していない家族の決まりで断らなければならない時が一番辛い。自分がしたいことをできる幅が少ないからだと思います。

だから余計心に疲れが出やすくなっている。僕のTwitterの縮小垢を見てる人はよくわかるのではないかと思います。

 

 

「〜したいけど、断らなければいけない」機会は今後もあるとは思っている。そらは仕方がない。でもそれは「他の人との出会ってそして楽しみがまだ待っている」からまだすんなりと言えることかもしれない。まだ遠い先まで辛い状況が続く中、これをし続けるとなんとも言えない気持ちになる。

 

 

だから僕はこう思う。

 

「後悔しない断りをしよう」

 

 中々断るのって勇気があると思う。だから断るには自分が後悔しないっていう選択をしなきゃいけない。だって後悔したら一生残ることだってある。あの時あれしておけばっていうのは誰しも嫌ですよ。

だから『あの時断っておいてよかった』『あの時、この選択を消しておいて正解だった』と思うようにしましょう。何事もポジティブに。自分にプラスに。じゃないと人は生きていけない。特にこの世の中は。

 

みなさん、そー思いながら選択してみてもいいかもです。きっとマイナスになることはかなり減るはずです。

 

ほな、ばいちゃ

 

2020/10/19

 

なおやん

 

 

 

 

 

 

カジサック

めちゃくちゃ久しぶりの投稿。飽きてたと言うかブログにをつけれなかった時間が長かったなー。

結構オンオフ激しい時期がたくさんあったし。

今日は恩人について一人。ご紹介したいと思います。

 

 題名にある「カジサック」。キングコング梶原雄太として芸人活動を進めつつ、2018年から『カジサック』としてYouTube活動を始め、今や登録者数200万人を突破する日本のトップユーチューバーの一人です。(と個人的に思ってます)。 このたびはカジサックさんについて少しお話ししようと思います。

 

僕はあまりYouTuberに触れる機会はあまりなかった。YouTubeを使うときは知らないアーティストの曲を聞くやサッカー、野球の試合のハイライトを見るくらいでした。 

出会いは2020年1月末。当時、妹の受験のため大学とバイト以外はほぼ外を出歩けない日々😩😩。成人式ですら行けず、また大学の授業も部活もろくにできない状況が続いており、ずっと気分が乗らないまま冬を過ごしていたような気がします。

 しかし、ある日の夜、サッカーの天皇杯のハイライトを見ているときでした。その次の動画で元ヴィッセル神戸那須大輔さん(僕は浦和時代の印象が強い)のYouTube企画でYouTuberとのフットサル対決動画が上がっていました。そこにカジサックさんも参加されており、まず少し驚きました。芸人さんがYouTubeやってるんやと。

 興味を持ってその次の動画を見ると90万人登録者記念の西野さんとの対談動画だったのです。それをクリックして見出すともう笑いが止まらない止まらない😂😂。多分こんなに腹かかえるくらい笑ったのは久しぶりじゃないかというくらい。

今まで家で笑うことがほぼなく、無感情で生活していた自分にとって自然と元気をもらえたのがカジサックさんの動画たちでした。冷たく凍り付いていた自分に暖かい風が吹き込んだような気がして。本当に感謝しています。ありがとうございます。

それがきっかけで今ではYouTubeにどハマり(笑笑)カジサックはもちろん様々なYouTubeをみてます。時に情報収集したり、時には笑い、ちょっと泣いたり(トンボさんのプロポーズ動画は泣けました😭)。

ほんまに僕を救ってくれた一人やと思ってます。感謝を伝えたいけどテレビに出てる遠い存在の人だからこうして文字に起こしてます。カジサックさん、本当にありがとうございます。これからも動画制作、頑張ってください。

 

皆さん長文失礼しました。最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

 

ほな、ばいちゃ。

 

 

2020年9月6日

NAOYAN

救世主

 こんばんは。なおやんです。

今日はハグの日らしいですね。まぁハグする相手はいないんですけど。もうひとつ、阪急の日でもあるらしいです。大学が休校になる前までずっと阪急電車に乗って通っていました。早くまた電車で通える日が来るといいなぁと思います。

 

 

もうすぐこの界隈にアカウント作って一年が経とうとしています。今日はこのアカウントを作っていままで残っている経緯を少し話そうと思ってます。

 

 

 元々は大学のアカウントでRAD三昧を聞き、そこでエゴサしていいねした人たちを見てみるとなにやら『うぃんぱー』と名乗る集団がいるぞと。RADWIMPSのファンであるぞと。なったわけです。あまりそう言うファンで絡むと言う経験はなかったから作ってみようかなっていうのが理由の一つ目。

 

 二つ目は大学の生活がうまく行っていなかったのが大きいです。四月の頃は勉強に身が入らず、音楽ばかりやっていました。しかし、音楽のサークルで人間関係でトラブルを起こし(結局そのサークルは辞めました)別の自分の居場所を探していたからと言うのがあります。

 

  当時僕は今思えば鬱気味状態でした。家族も大学の人間関係も好きなことも思い通りいかない日々。一年目がかなり順調すぎたのでそのギャップが激しかったからでしょう。相当病んでいました。

 

 さらには自分がとある仲良しのフォロワーさんとの冗談のリプをサークルで嫌いだった男に晒されてTwitterで吊るされる事件まで起き、このアカウントを作ること、そしてうぃんぱーさんと絡むことも否定された時期がありました。

 

はたまた自分の存在自体否定されたと思う瞬間もありました。

 

正直辛かったです。

 

こんなにも心って折れやすいのかって言うくらいポキポキ折れる音がするんです。自分の中で。本当に絶望のまま生きていたら死んでいたかもしれないなって思います。

 

でも、そんな弱い僕をそれでも肯定してくれたのが、うぃんぱーさんです。

 

初期から絡んでくれた人、途中からだけどすごく仲良くなった人、最近仲良くなった人。

 

助けてくれてありがとう。

僕の救世主です。

 

僕には1500人も多すぎるって言うくらいフォロワーさんがいます。みんなにささえられて僕がいます。

人として迷惑かけたり、とんでもない失敗をするかもしれないけど、それでも暖かく見守ってくれるうぃんぱーさん達にはとても感謝しています。

 

本当はオフ会が順調に開催できたらこのアカウントを消す予定でした。

 

でももう消しません。ずっといます。残しておきます。宣言します。残します。

 

君がいないとここにいないと何もないんだよ

この世界と君と僕にまつわるもの全て

意味を消さないで離さないで繋いでおいてよ

君の吐く息を今日も世界は吸ってる

 

 RADWIMPSの絶体絶命にある『救世主』と言う歌です。僕は迷ったらこの歌に必ず戻ってきます。そしてこの気持ちを忘れずに生きていきます。

 

ということで、色々お世話かけるかもしれませんが、改めて今後ともなおやんをよろしくお願いします。

 

 

ほな、ばいちゃ。

 

 

2020/8/9

 

決めゼリフ

最近りんくんのブログを見て思いました。

 

あ、最後の決めゼリフいいなぁ。

 

じゃあ自分もつけてみよう。

 

しばらく考えました。

でも

いいものが思いつきません。

 

やっぱりやめておこうかな。

今日は短めだけどブログもこの辺にしよう、、

 

 

ほな、ばいちゃ!!!

 

 

、、、、、、

 

 

あ、これでいいか。よし、これにしよう。

次からの決めゼリフ

 

ということでまた次回

以上なおやんのブログでした。

 

 

 

ほな、ばいちゃ!!

 

生い立ち①〜兵庫編〜

どうもなおやんです。最近すっかり夏っぽくなりましたねー。自分は夏の暑さが嫌すぎて家の中にこもりっぱなしのひもありますが、プールとかも久しぶりに行ってみたいなぁと思います。まぁ、時期が時期なので無理なんですけどもね笑笑

 

 

さぁ今日は何を話そうか話題を探してたら、案外自分の生い立ちについて話してなかったなぁと思って。3回に分けてお話しします。

 

 

さぁ生い立ち第一回は兵庫です。

実は多分一番お世話になってるのが兵庫県なんじゃないかなと思ってます(笑笑)生まれた病院は大阪なんですが、その後すぐ兵庫県の西宮のほうに住み、3年ほど過ごします。

 

 

3歳になった時、父の転勤で一度東京に行きましたが、小学校入学前に再び西宮に戻ってきました。

それからは中学の途中までずっと済んでました。

ちょうどそのころ、西宮周辺は再開発の時期にあり、新しいマンション、商業施設が出来上がっていきました。小4の時な阪急西宮ガーデンズができたことは今でも覚えています。出来立てのころ何度も四階のレストラン街に行ったものです笑笑

甲子園に高校野球をよく見に行っていたり、尼崎のアマラーゴというでかいプール、夏休みには淡路島の海に泳ぎに行ったりしていました。懐かしいなぁ。

 

今では大学のキャンパスが神戸にあるため、三ノ宮でサークルの練習をしたり、帰り道に西宮に寄ったり、はたまた姫路に行ったりと今でも兵庫県とのつながりは深いです。

 

 

うぃんぱーさんにも兵庫県の知り合いがたくさんいるので、また近場で遊んでみたいなと思ったりしてます!!!

 

 

 

次回は東京編です。関東時代の話を少ししたいとおもいます。それではまた。

 

2020/7/27